BEHIND THE LIFE|株式会社Mamma Mia「竹内皓揮」氏インタビュー

BEHIND THE LIFE|株式会社Mamma Mia「竹内皓揮」氏インタビュー

「BEHIND THE LIFE」

現状があるのは、積み重ねてきた過去の日々の成果。

どのような過去を経て、現在があるのか。

街で活躍するさまざまな人たちのバックグラウンドにあるストーリーをのぞき、発信することで、チャレンジしようとしている人の背中を押すことを目的としたインタビュー企画です。

記念すべき第一回は、ナゴレコ公認グルメライターも多く足を運んでいる名古屋の人気店、「なんてこった研究所」の生みの親である株式会社Mamma Miaの代表、竹内皓揮さんにインタビューをさせていただきました。

BEHIND THE LIFE|株式会社Mamma Mia「竹内皓揮」氏インタビュー

 

——始めに、現在展開されている事業について教えてください。

70B7ACE5-AA3F-4C75-ABDF-3867D61C0170

栄と金山でカフェ&ワインバー、新瑞橋で焼肉、そして2020年8月1日から八事で焼肉の2号店をやらせていただいています。僕個人としては、飲食企業のコンサルティングを全国出張でやらせていただいています。

 

全ての始まりは大学時代のアルバイトだった


 

——今の仕事(飲食業)を始めたきっかけはなんですか?

 

大学1年の秋に始めた居酒屋のアルバイトです。その居酒屋にはコンサルが入っていて、全国を飛び回るコンサルタントをカッコイイなと思ったこともきっかけの1つですね。

そこでアルバイトをして一年程経った頃、サービスの最高峰を見てみたいと思いレストランでアルバイトを始めました。そこでも「飲食って楽しいな!」と思ったことも大きく影響しています。

その頃、僕は南山大学の外国語学部だったこともあって、一度世界を見てみたいなと思っていて。

思い切って大学3年生のときに大学を休学して、最初の半年はフリーターをやって、某ピッツェリアで働かせてもらって180万円のお金を貯めました。(笑)

半年で2日間しか休みを取らずに毎日朝から晩まで働いていましたね。

そして、韓国からイギリス迄ユーラシア大陸を放浪して帰ってきました。今振り返っても楽しかったです。

73675B04-8CCC-455C-B397-CBC8DE6A0EED

その朝から晩まで毎日働いたフリーター時代が大きなきっかけになって飲食にハマっていきました。

就職活動を始める時期になって、お世話になっていたイタリアンの社員にならないか、というお話もいただいていたんですけど、当時のマネージャーがとてもいい人で。

「四大出ていきなり飲食で働くのはもったいない。いつお前が戻ってきても迎え入れてあげるからまずは広い世界を見てみな。」と言って下さったんですよね。

 

その言葉をいただいて何をしようかと考えたとき、すぐにコンサルティングだなと思ったんです。そこで、居酒屋でアルバイトをしていた頃のコンサルタントの方に連絡を取ると、「コンサルやりたいんだったら日本で一番のコンサルティング会社である”船井総研”に行きな」とアドバイスをいただきまして。

船井総研の門をたたいて、新卒で入社することができました。振り返ると今の仕事は全て、学生時代のアルバイトがきっかけになっていると思います。

 

——その当時、”食”に関して何か変化した考え方や出来事はありましたか?

 

最初はただ元気に接客していることが楽しかったんですけど、だんだんお客さんが自分のことを覚えて下さって、コミュニティができていくことが楽しいなと思うようになりました。“食”を通じて、“食”がきっかけに人生が充実していく。そんな感覚を漠然と感じられていたと思います。

“接客が楽しい”から”食が楽しい”に変わってからは、食べログの1位から50位までの名古屋のカフェやイタリアン全店に行ったりしましたね。

自分が提供しているものに自信を持ちたい、飲食をもっと深く知りたいと思ってからはさらに「食」というものが好きになっていった感覚でしょうか。

 

本物と美味しさ、そして知識を多くの人に届け、名古屋の食文化を広げたい


 

——現在では飲食店を多数展開されることになりますが、店舗のブランド作りにおいて重要視していることはありますか?

F1A418E3-0F0D-40DA-80AC-353C96E0C8A7

絶対に外さないのは”食文化を広げたい”という意志です。

僕が学生時代に名古屋でいろいろなものを見て食の楽しさに目覚めた結果、すごく人生が充実したと感じているので、そういった体験ができる場所を作りたいですね。

若い子が店を好きになってくれて、若い子が「“食”って楽しい」と感じて、成長してくれれば食文化は広がっていくんじゃないかなって。

いつか高級業態もやりたいと思っていますが、若い子との接点をつくる、若い子の食文化を広げるというポイントはどの店舗でも考えてやっています。だからうちは比較的リーズナブルでカジュアルなお店が多いかと。日本語でいう“大衆”みたいな。

 

——”食文化を広げる”にあたりどのような視点をもっていますか?

 

バナナジュースを例に挙げると、当時東京や大阪にはバナナジュース専門店があったのに名古屋にはなかったんですよ。

名古屋の子達がバナナジュースの面白さを知らないなら僕が始めよう、誰もやらないなら僕がやらなきゃなって

221568AA-42A0-4ADA-90CC-ADE480ECF170

今やっている焼肉もかなり本格的で。ウチはチャラく見られがちですが、実はめちゃくちゃ”王道焼肉”なんです。

たれ焼肉って、もみダレが甘くて、つけダレはちょっと酸味があって。甘みと酸味のバランスが大事なんだよ、という王道の精神をいかにカジュアルに伝えるか、という意識はすごくしています。

“食”は「美味しい・不味い」と感覚的に捉えがちなんですが、“食文化”というところまで掘り下げると結構論理があったりして。
甘みと酸味を合わせるからくどくないんだよとか、同じ地方で造られるワインとチーズだから合うんだよとか、イタリアのローマでは春になるとこれとこれを合わせるんだよとか、そういったセンターピンとなって印象に残るような情報・チップは随所で伝えるようにしています。

なんとなくチャラチャラとした飲食ではなくて、美味しさとは、本物とは何なのか。をいかにカジュアルに伝えられるか。僕らがやるからには本質と楽しさを抜かない場所でありたいっていうのが小さいですけどプライドかもしれないですね。

 

——店舗のブランドを構築する上でどういったところに苦労を感じましたか?

 

そうですね…。やっぱりブランドの意思を伝えることは難しいです。

僕らの店は一見するとSNS映えとかでチャラく見えたりするので、いかにお客さんに僕らが本当に伝えたい本物感を伝えられるのか、というのは課題ですし、苦労を感じるところではあります。僕らが本当にやりたいことを来店された一瞬でお客さんに伝えることは難しくて。

あとはその拠点(店舗)を増やしていく過程での周知徹底でしょうか?
ウチの場合は、一号店である栄店の出店時から、ほとんど僕は現場に出ていなくて現場の子に任せているので、彼らがもっと楽しみながら伝えていけるようにしなきゃいけないな、といつも考えています。

僕が自分でやろうと思ったら多分できるんですけど、物理的に一人の人間ができることって限られていますし、それですと全体(名古屋)に対する影響力って小さいままだと思うんです。
だからいかに仲間を巻き込んで、増やして、人に任していく事ができるかっていうのは苦労を感じながらも常に意識してやっています。

 

——経営において重要な意思決定をする際に大切にしている価値基準はありますか?

 

まずははやっぱり、ワクワクできるか、面白いかです。面白くないことはしない。それと身体に悪いこともやりたくないですし、見た目だけ、SNS映えだけというのもNG。

まぁ私的感覚にはなってしまいますが、自分がダサいと思う事は極力しないし、何をするにしても本物をしっかりと担保することが決め手というか、そういったことは常に考えてはいます。

 

自分に胸をはれる人間になれるようにって変わっていった


 

——人生の転機となったエピソードを教えてください

AEB4794C-875C-4977-B073-9593E8CEC013

沢山あるんですけどまぁまぁリアルに2つ。これダッサイ話なんで参考にならなければカットしてもらっても良いのですが。(笑)

・・・1つは、大学1年生の頃に遠距離恋愛していた彼女と別れたことですかね。(笑)

これは自分の中で大きな転機でしたね。当時、本命の大学を落ちて南山大学に入り、ただフラフラと過ごしていた自分とは対照的に、彼女は大阪で一人暮らしをして勉強もアルバイトも部活も全て一生懸命に頑張っていて。

その姿を見て自分がなんだかすごくダサく感じて、彼女と対等じゃない、負けてるな、という自分が恥ずかしくなって。その時は突然自分から別れを告げました。

その後、当初は彼女に負けない、ふさわしい男性になりたいという想いもありましたが、それがいつしか自分に胸をはれる男性になりたい、人間になりたいという想いに変わっていきました。

その失恋をきっかけにいろいろと自分から動き出すことができるようになりましたね。人間として本当に成長させてもらったな、というきっかけであり、大きな転機でした。
あんなに自分をみじめに、恥ずかしく思ったのは後にも先にもあの時キリですね。(笑)

ちなみにその子はその後、7大商社の一社に総合職入社して、今では2児の母になっています。今でも勝ててねぇ〜!(笑)

9FD67A2C-76DF-42E3-95C4-23BF4897B866

もう1つは、人生で一番仲が良かった大学の同級生が若くしてガンで亡くなったことも僕の中ではすごく大きかったですね。本来はその彼と飲食をやるつもりだったんですよ。だから辛いときとか、頑張ろうと思うときに、ふと彼が思い浮かびます。

今後さらに成長していこうと思えるのも、彼がやりたかったことだから、というのもありますね。

 

今の当たり前を疑うことで人生は変わる


 

——毎日を豊かにするために今日からできることを教えてください。

 

すごくどこかで聞いたことがあるような言葉かもしれませんが、習慣が大事だと思っています。

僕は”機微”と言っているんですけど、その微妙なニュアンスに気が付けるか気が付けないかが大きくて、そこに気が付けると無意識が意識になって、意識ができるようになると物事を変えていくことができて、変えていくことができるとそれが習慣になるんですよね。

今の当たり前を疑ってかかれるのか、というところがすごく大事だなと思っています。気が付けるかどうかで人生はきっと変わります。まずは自分の中の当たり前を疑ってみましょう。

 

——竹内さんにとって人生のゴール、最終目標のようなものはありますか?

 

ないかなぁ。毎日楽しく生きていければそれでいい!(笑)

自己実現的に言ったら影響力を増やして、それによって変わってくれる人がいれば嬉しいです。

52D9231F-7E54-4CA9-9458-6A56D83B2B86

前職でお世話になった方が、「とにかくまず自分で目標を決めろ。そこに向かってがむしゃらに突っ走れ。途中で違うと思ったら目標は変えていい。」と仰っていて。

人は何かを決めてそれに到達できないと自分を否定してしまうけど、別に目標は変わってもおかしくないんだよ、と考えを改めてさせてもらった印象的な言葉でしたね。だからたぶん、僕にとっては目標というものは常に変わっていくものなんだと思います。最終到達点というものは基本的にはないんじゃないかな、と思っています。

 

変わりたいなら変わればいい。千里の道も一歩から。


 

——最後に、チャレンジすべきかどうか悩んでいる人に向けてメッセージをお願いします。

F14BE247-B6CC-4C07-847A-E5EBC53A87BE

リスクを最初に理解することがすごく大事なことだと思っています。人間は嫌なものには蓋をしたがるじゃないですか。でも、因数分解して一番最悪なリスクを理解していれば行動はしやすくなると思うんですよ。

不安が大きくて動けない、という人は意外と話してみると考えることを停止してしまっていると感じることが多くて。もしくは、大雑把に理解をしてしまっているとか。逃げずに現実を直視して、しっかりと考えてみる。因数分解をして、何が怖いのか何が不安なのか何が難しいのかを整理する。

その上で一番最悪と考え得るリスクを受け入れる覚悟があるか、それが自分の中で腑に落ちれば行動には移しやすくなると思います。

動けないというのはふわっとしかリスクを想定できていないからなんてことは結構あるんじゃないかな、なんて。

もしかしたらあなたが今、チャレンジすることで起きる最悪の結果は、意外と大したことではないかもしれませんよ。

変わりたいなら変わればいい。本心で思ってるなら絶対に変われると思います。